昨日パラリンピックが閉会しました。
オリンピックもそうですが、
想像を絶する努力を続けて来られた姿に、
ただただ「すごい」という言葉しか思い浮かびません。
義足ダンサーの大前さんは、
「例えば椅子に座って食事をとるときそこに障害はなく健常、
足が必要な状況の時は、足がないことが障害となる。
それは、障害者と言われる人だけでなく、
健常者であっても同じだと思う。
みんな、ある時は健常者、ある時は障害者。」
というような話をされていました。
大前さんは、以前講演会に参加した時にも、
「障害者という呼び方(書き方も含め)について様々な考え方があるが、
自分は障害者という呼び方に違和感がない」と話されていました。
障害者として生きておられる方々は、
それぞれの思い、考え方、生き方があると思います。
みんなが大前さんと同じ考えではないことも、
当然あると思います。
でも、障害者に対して過剰に反応してしまったり、
腫れ物にさわるような感覚を持つことは、
とても失礼なことのように思います。
障害者と健常者の間に、
障害(壁)をつくってしまわないように
しなければ!と思います。
障害をその方の特性と捉えるならば、
一人の人間として、
その人の生き方が好き、
感じ方が好き、
頑張ってる姿が好き…。
顔が好き、声が好き…。
相性があう、合わない…。
そこに障害のあるなしは関係ないと思います。
子どもも大人も、高齢者も怪我をした人も、妊婦さんも…、
困っていたら助け合う。
特別なことではなく、普通のこと。
みんなが自然に声をかけあい、調和して暮らし合える社会になればいいな…と思います。
明日もきっとよい1日☀
明日はもっとよい1日🌱
みさこ🌻